冬来たりなば春とうがらし

これまでに経験した困ったことと、その解決法らしきもののまとめ。あと読んだ本。

昨今の大学教員(目的語デカイ)に求められる能力

 数年ぶりに大学に職場を移して1年半ほど経ちました。その間、教育・研究・どちらにもほとんど関係ない業務群などを経験し、いろいろ感じることがありました。ここ20年ほどアカデミアのジョブマーケットがわりと(いやかなり)タイトなのもあり、SNS等では「アカデミア職ゲットテク10選」みたいな話題が定期的に出てきます(?)が、ご多分にもれず本ブログでも、どういう人が大学教員として求められているのかについて私見を述べたいと思います。人生いろいろ、大学もいろいろ、ですので、国立の「普通の」総合大学をターゲットとしますが、おそらく他の大学でも事情は大きくは変わらないのではないかと推測します。

 

1 まず一般的イメージの確認
 多くの人(研究業界にいる人も)は、大学教員として採用される(されやすい)人として、「研究業績が優れた人」「わかりやすい・ためになる講義をできる人」というイメージを持っていると思います。実際、人事公募の応募書類のほぼ全てに研究業績を書く欄があり、教授や准教授の公募では担当科目リストなどを書く必要があることも多いです。なので、最初に挙げた一般イメージというのは全くその通りではあるのですが、他のファクターもあるのではないかと思う今日このごろでして、そういうのを以下に述べたいと思います。

 

2 ルーチンワーク耐性
 一般に研究というのはクリエイティブな仕事、ゼロからイチを生み出す仕事、と考えられていると思います。実際には、研究のけっこうな部分がルーチンワークだったりするわけですが、大学の業務(行政業務・管理業務)はより一層ルーチンワーク感が濃いと思います。さらにややこしいことに、業務におけるルーチンワークには、大学ごと部局ごとに「お作法」があり、各々のルーチンワークを作法に沿って粛々と進めていくことが求められます。「こんな代わり映えのない仕事を伝統芸能みたいにこなすなんて、やってらんねーぜ」みたいな人は、大学で働くとメンタル面でキツくなると思います。

 

3 思ったことをそのまま言わない
 大学だと学部生・卒研生・大学院生などいろいろな学生と接する機会があります。今も昔も大学生は大人と子供の間のモラトリアム期間ですが、昨今のご時世もあり、教員が思ったことをそのままストレートに(完全な大人ではない)学生にぶつけると、けっこうな確率で学生の気持ち・プライドを折ってしまいます。折られた側は、萎れてしまったり、怒りを表出することになり、それを収拾するために往々にして多くの人のエネルギーを浪費することになります。教員側にも言いたいことはいろいろあるわけですが、第三者から見るとやはり学生より教員のほうが「上」の立場にある(見える)以上、教員がなにを言ってなにを言わないかを時間をかけて吟味するべきでしょう。多くの現代的大学教員は、言いたいことのおおよそ1/10程度を表現を選んだ上で学生に伝えていると思われます(当社調べ)。いつもニコニコしているおじいちゃんおばあちゃん先生も、その姿をある種の処世術と思うと見え方が変わってくるかもしれません。

 

4 否定・拒否から入らない
 項目3とも関連しますが、大学教員生活においては、上から横から下からいろいろなお願い・要請がポコポコ入ってきます。それなりの量なら適度にこなせばいいだけですが、あんまりな量・質になると、無差別にバッサリ切りたくなる気持ちになるかもしれません。ですが、お願い・要請する方にも相応の事情があるわけでして、話をざっと聞いたときに頭に血がのぼるような案件であっても、一度はそのまま受け止めた上で、頭を冷やしてからもう一度検討して、どう対応するか決めるくらいの慎重さ(ある種の愚鈍さ)が必要かと思います。

 

5 チームワーク力
 現代は多くの研究分野において以前よりも大規模チームを組んで、一つの研究テーマに取り組むことが多くなっており、その際はチームを組む力やチームをリードする力などが試されるわけですが、ここで書いている「チームワーク力」はそういうスキルではありません。今の時代でも、研究テーマを絞れば、単一の研究室・チームで論文の形まで研究を進めることは不可能ではなく、そうすると研究遂行においてはラボ内の交通整理さえすればOK、ということになります。その一方で、項目2で述べたようなルーチンワークのけっこうな割合が、複数人でチームを組んで取り組む仕事でして、そうすると研究室内で仕事が閉じる、ということにはなりません。さらに、チームのメンバーはどこかで天下り的に決められていることが多いので、メンバー構成に応じて自らの「役割」を変える必要があるでしょう。そういう役割を適度にあわせてチームを円滑にする「チームワーク力」が大事そうです。ある時はアクセル役、ある時はブレーキ役、ある時はオピニオンリーダー、ある時は「空気」、ある時はアイデアマン、ある時は聞き役に徹するといった感じです。また、とんでもなく力の入らないxxな業務であっても、それを顔色変えずにパパっとうっちゃるポーカーフェイス力も大事だと思います。

 

6 一猿
 一般には「見ざる・言わざる・聞かざる」を三ざる、というかと思います。ここで言う一猿、というのは「見る・聞く・言わざる」というものです。大学教員をすると、本当にいろいろなもの・ひと・ことを見たり聞いたり、見させられたり聞かされたりします。これらは、今後の参考にするために覚えておくのがいいのかもしれません。ですが、見たこと聞いたことを他人に言ってなんかいいことが起きることはほぼありませんので、ひたすらココロに留めることになります。そういうのが溜まってくると、メンタルを腐食することもありますが、あきらめて心のなかで腐葉土になるまでひたすら待ちましょう。あと、学生同士で楽しそうに喋っているのを見て・聞いて、教員が会話に割り込むと、ほぼ100パー嫌われますので自重しましょう。

 

7 そういう人間をちゃんと選考できているのか
 項目2から6まで、昨今の大学教員に求められそうな(?)能力を列挙しましたが、人事選考においてどうやってこれらのスキルを持っているか判断している(もしくは判断していない)のでしょうか。個人的には、これらのスキルについて数十分〜数時間の人事面接で見極められるとは思えません(少なくともわたしにはムリです)。なのでおそらく、このようなスキルを「持っていそう、持てるように成長できそう」な人を(研究業績などを考慮した上で)選んでるんじゃないのかなあ、と思っています。