冬来たりなば春とうがらし

これまでに経験した困ったことと、その解決法らしきもののまとめ。あと読んだ本。

「昭和の大学」を出た男のその後

1 大学を出て大学院へ

私たちの世代のアカデミア研究者は、色気づいてから好景気を知らないまま1990年代後半に大学に入学し、古きよき(あるいは古きわろき)大学生活を送ったかなり最後の方の世代でした。私も含めて、学部生活を堪能した後は、大学院重点化が完了した大学院に(重点化前とは大きく異なり)それほど熾烈な競争もなしになんとなく進めた人が多いと思います。
大学院では(能力不足・努力不足のため)相応に苦労し、なんとか学位を取る頃にはポスドク一万人計画の「次」が頓挫しており、なかなかの五里霧中感がありました。五里霧中とは思いつつも、若気の至りで「オレだけはなんとかなるやろ〜」と内心ほくそえみながらアカデミア研究者生活に突入し、結果厚い壁に何度もぶち当たることになったわけです。

 

2 ポスドク→公募

ポスドク生活も数年経過し、そろそろ助教のポストでも、とか考えてJREC-INなどをながめ始めた頃には助教職の多くが任期付きになっており、なんだかな〜と思いつつも任期付きのポストの公募にも(気後れして)応募するに及ばなかったり、応募してもダメだったりしました。アカデミアのポストが枯渇しているのは、大学院生の頃からわかっていた(はず)ので(その後状況はさらに悪化してましたが)、自己責任といえばその通りかと思います。とはいっても客観的に見てもあんまり恵まれない世代だったと思いますが、一つ(だけ?)良かったこともあります。

 

3 掟

私の世代の一つ前の世代くらいまでは、「助手(今の助教)に35までになれなかったら試合終了ですよ」という(暗黙の?)掟があり、当時は(助手の)公募文面にも明確に「35歳まで」と記されたものが多かったと思います。アカデミアポストの枯渇とともに、毎年増える自分の年齢と「35の掟」の間で苦しんだ人も多かったのではないかと想像します。ところが私が35になる頃には、多くの(エラい)人がポストの枯渇具合を理解しており、分野にもよりますが35を超えてから助教になる(応募する)ことにそれほどの苦しさはなかったと思います。ちなみに私は36で助教になりました。

 

4 氷河期から守旧派

その後時代は流れ、非常な幸運に恵まれ、自分が望んだような職につくことになりました。私自身は今でも抑圧された研究者の仲間だと自己認識していますが、実際の若手世代から見たらただの体制側の旧人類でしょう。いま多少なりとも客観的に、日本のアカデミアジョブマーケットや諸々の支援制度などを見ると、若手(35まで・38まで・42まで、の3レンジくらいがある気がします)をなんとかもり立てていこうとする仕組みがそこそこあると思います(若手から見ると全く不十分だと感じるでしょうけど)。いろいろ批判もあるようですが、私はもっと拡充していってほしいと思っています。
ただ、若手支援策が拡充していくにつれ、その支援レンジから外れた人たちが割を食うようなことにならないかはとても気になります。私自身が、前世代の「35の掟」のレンジから外れて、世が世なら試合終了してた可能性も十分あったにもかかわらず、時代の(意識の)変化のおかげでなんとか助かった(のかわかりませんが・・)からそう思うのかもしれません。若手支援策の他にも、種々のアファーマティブアクション的な施策も動いていると思いますが、その施策の「ストライクゾーン」に入っている間はいいけど、外れた瞬間に崖から突き落とされすようなことになってないか、ずっと心配に思っています。こんなことを思うこと自体が、「体制側の旧人類」の証ではないか、と言われたらその通りだと思います。