冬来たりなば春とうがらし

これまでに経験した困ったことと、その解決法らしきもののまとめ。あと読んだ本。

2019-01-01から1年間の記事一覧

平成にあった「昭和の大学」の墓標 9 完結編 実習と挫折

待っている人いないと思いますが、長らく続けてきたこのシリーズも完結編ということで。前回は(あくまでそれまでと比べたら、ですが)マジメに授業行き始めた3回生時の話を書きました。今回も同じく3回生のときに(たしか)月〜木の午後にあった生物学実…

平成にあった「昭和の大学」の墓標 8 単騎のタンクロウ

前回に書いたように、3回生となった私は無事(?)希望した生物系に配属されました。ところが、私は高校のときに生物を選択しておらず、また大学に入って以降ほとんど勉強しておりませんでしたので、ほぼ何も知識のないまま(DNAとRNAの区別もあんまりつい…

むかし書いた文章

数年前に友人夫妻が結婚された際に書いた駄文を見つけたので紹介。名前の部分は伏せ字にしました。 そして伝説へ Xさん、Yさん、今日の良き日にすばらしい式を挙げられましておめでとうございます。これからよりいっそう素敵なご家庭を作られていくことを楽…

平成にあった「昭和の大学」の墓標 7 秋風五丈原

私が大学生だったほぼ20年前の京都大学では、「連休後に秋風が吹く」と言われてまして、5月の連休が終わるとキャンパスから人の気配がなくなり、授業の出席率もグッと低下してました。聞くところによると、10年ほど前から連休後もほとんど出席率が変わ…

平成にあった「昭和の大学」の墓標 6 夢 with you

私が大学に入った頃にはもう退官されていた森毅先生(亡くなられましたが・・)は、答案用紙を紙飛行機にしてよく飛んだものが点数が高かったとか、数学の試験が「カレーの美味しい作り方」だったとかの伝説がありました。私もそのレベルではないですが、い…

平成にあった「昭和の大学」の墓標 5 めぐりあい単位

ここでは、私を含めた無気力学生がどのようにして(努力することなく)必要な単位を揃えようとしていたのかを紹介します。 1 虎の巻と口コミ 入学式などで、クラブ・サークルの勧誘や不動産屋のチラシの他に(たしか)生協が作っていた授業ごとの単位の取り…

平成にあった「昭和の大学」の墓標 4 鳴かぬなら自分で決めよう時間割

私が大学に入った頃は、いわゆる「教養部解体」が行われたあとでして、1−2回生の間にかつて「一般教養」と呼ばれた授業(単位)と共に学部提供の専門の単位もいくつか取得するシステムとなっていました。当時の京都大学理学部では、一回生の語学といくつか…

平成にあった「昭和の大学」の墓標 番外編 学部の愛称(?)

私が学生だった頃、京都大学の学部で愛称があったのは(筆者調べ) 理学部:就職ムリ学部 工学部:おとこう学部 経済学部:パラダイス経済学部(通称パラ経) 法学部:あ法学部 他にもあった気がしますが、思い出せない(よる年波

平成にあった「昭和の大学」の墓標 3 「厳しく」なったカリキュラム

志望校だった京都大学理学部になんとか入学できたわけですが、とくにやりたいことや勉強したいこともなく、のほほんと暮らしたいと思っていました。その頃の京大理学部は(それまでと比べて)カリキュラムが厳しくなったと言われており、私も先輩方から「厳…

平成にあった「昭和の大学」の墓標 2 「昭和の大学」に入るまで

いきなり私事になりますが、私は大阪の某ニュータウンで生まれ育ちました。両親は共に高卒で、おそらく「生まれた時点で大学進学が選択肢になかった」人生だったと思います。私はなぜか学校の成績がよくて、地元でいちばんと言われる公立高校に進学しました…

平成にあった「昭和の大学」の墓標 1 プロローグ

無事、元号が令和に変わりましたが、平成の30年間で大きく変わったものの一つに大学があります。かつての大学はレジャーランドなどと揶揄されつつも、高校まで存分に詰め込み教育を受けてきた学生たちに、それなりに羽根を伸ばす(伸ばしすぎることも多々…

ハイネックの服

久しぶりの記事。 ハイネックのセーターとか、シャツとかわりと好きです。というわけで、ハイネックの服のいいとこと悪いとこをまとめてみます。 いいところ 首筋がぬくくなる 中にヨレヨレのTシャツとか着てもばれない 悪いところ 首が絞まる感がある 首周…