冬来たりなば春とうがらし

これまでに経験した困ったことと、その解決法らしきもののまとめ。あと読んだ本。

平成にあった「昭和の大学」の墓標 1 プロローグ

 無事、元号が令和に変わりましたが、平成の30年間で大きく変わったものの一つに大学があります。かつての大学はレジャーランドなどと揶揄されつつも、高校まで存分に詰め込み教育を受けてきた学生たちに、それなりに羽根を伸ばす(伸ばしすぎることも多々でしたが)4年間を提供していた気がします。対して今は、学生自身も学費を出す親たちも、学費(投資)に見合った「かっちりした」教育(リターン)を提供することを大学に求めている、と感じます。かつての大学にも多くの批判がありましたが、今の大学にも「高校までの管理教育の延長ではないか」「これで自主性・自活力が育つのか」と批判することはできるのかもしれません。とはいっても多数派の人々が求めてきたのが、今のかたちの大学なのでしょう。

 私は、2000年代中盤から大きく大学が変わったと考えておりまして、よくもわるくも昔の(「昭和」な)大学の姿はすでにだいぶ忘れられてる気がします。そこで一つの墓標として、1990年代終盤に当時の基準でも図抜けて、よくいうと「自主性に任せた教育」を実践し、悪くいうと「ヌル」かった、京都大学の理学部で、同級生300人と比べてもだいぶ自堕落に過ごした空気感やそれを許容していたシステム(?)を記しておこうと思います。

 この手のネタは、ある種の怒りを買うことがありまして、とりわけサボり自慢(俺は全然勉強してないけどテストの点は良かったぜ〜的な話)や学歴自慢をしたいのではありません。また、現在の大学のしくみやカリキュラムに物申したいわけでもありません。ただ、平成の時代にもこんな「昭和」な大学があったんだ、ということ(おっさんの思い出)をつらつら記そうと思います。