冬来たりなば春とうがらし

これまでに経験した困ったことと、その解決法らしきもののまとめ。あと読んだ本。

うんちく語りなば

他人に好かれることはなかなか難しいものですが、嫌われる(いやがられる)ためには、わりと典型的な方法があります。その一つが「うんちくを語る」ことでして、誰かがうんちくを語り始めると、まあたいてい場の雰囲気がビミョーになるもんです。とわかっていても、うんちくを語らずにおれないのが人のサガ(というほどでもない)であります。それで、比較的穏便にうんちくを語りたいと思うわけですが、そのためには、
1 うんちくのテーマを自分から振らない
2 うんちくの「タネ」を相手にさとられない
必要があります(個人の感想です。
まあ、誰も聞いていないことについてうんちく語りだして、あげくそのネタ元もバレバレ、というのはなんとも「悲しい色やね」でして。

 

じゃあどうすればいいか、というとうんちくのテーマを広く用意しておいて、そのタネをマイナーなソース(専門書とか)から拾っておくのがいいのですが、とくに後者はなかなか難しいものです。というわけで、守備範囲の広いうんちくのテーマのタネとなる、メイジャーなソース(矛盾極まりない)を挙げておきます。

 

「xx人はアアダ」とか「xx人種はコウダ!」みたいな話になったら

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
 

 ものすごく有名な本なので、書いてあることをそのまま語ると逆にアホ扱いされること必至ではあります。さらに有名な本なので、反論や反証などもこれまでにたくさん挙げられているのですが、この本の内容でもっとも重要なのは「ある集団と別の集団で勝ち負けがはっきりしたときに、その集団の遺伝的背景(才能)の優劣を持ち出さなくても、原因が説明できうる」というアイデア(考え方)なのではないかと思います。こういう考え方は昔からあったんだと思いますが、この本のような大きい時間的空間的スケールで説得力あるかたちで、かつわかりやすく書かれた本はなかったのではないかと思います。あと、下のバイアスの話にも関わるのですが、こういう考え方は集団間の議論でありまして、個人の比較から集団の優劣を話しても意味ないです。たとえば、私よりベーブ・ルースが野球がうまいからと言って、アメリカ人が日本人より野球能力に優れている、という話にはなんの意味もない(むしろ害がある)です。

 

バイアス・思い込み系の話になったら

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
 

 これもとても有名な本なので、書いてあることをそのまま語ると(以下略)。いろいろな人と話したり、少しの自省心があれば、ほとんどのひと(自分も)がバイアス・思い込みのかたまりなことに気づくと思います。それだけだとどうしようもないのですが、そのバイアスに人間ならではの一定の傾向があるということをわかりやすく徹底的に書いてあるのがこの本だと思います。たとえば、大抵の人はサイコロを振って奇数が出れば200円もらえるが、偶数が出れば150円払う、というギャンブルを避けます。だけど、交通事故にあうより低い確率でしか3億円当たらないくじには、けっこうな数の人が300円払います。このような行動の元には、人間ならではのバイアスがある、というのがおもしろいところです。
この本に書いてることをそのまま受け売りするのは、タネがばれて悲しくなる可能性がありますので、コンセプトをうまく使って、会話がバイアスまみれになったときに、さらっとうんちくを語れば、みんなの尊敬を集める・・・・ことはなくてよけいに嫌われることになるでしょう。

 

最後に、日本では人種的(民族的)多様性が小さいせいか、「xx人は足が速い」みたいなことがふつうにテレビで話されたりするのですが、そのへんをマジメな科学の話としてまとめた本としては、

スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?──アスリートの科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?──アスリートの科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 があります。ジャマイカの短距離ランナーとかケニアエチオピアの長距離ランナーの話は特におもしろかったです。